大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 昭和28年(行)18号 判決

原告 岡田昌三

被告 神戸医科大学学長

主文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が昭和二十八年五月二十日原告に対しなした神戸医科大学入学許可取消処分はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする」旨の判決を求め、その請求の原因として、

原告は神戸医科大学の昭和二十八年度入学試験に受験して合格、同年三月二十八日同大学第一学年に入学を許可せられて、入学料、授業料等も納入して同大学の学生として通学していたものである。然るに被告は突如原告に対して同年五月二十日附書面をもつて医科入学資格を有しないという理由で入学許可取消処分の通知をしてきた。しかしながら、原告が神戸医科大学を受験するに際し、原告の入学資格の有無については充分調査せられてすべての要件を具備していたので入学試験を受け合格したものであり、今更入学許可を取消されては原告の将来は暗然たるもので到底忍ぶことができないから、被告が原告に対してなした神戸医科大学入学許可取消処分の取消を求めるため本訴請求に及んだものであると述べ、

被告の主張事実に対し、

(1)  被告が入学許可を行う際、原告を受験資格ありとして許可すればその後において原告の出身学校から確定調査書の提出があつたとしてもそれによつて直ちに入学許可を取消すのは不当であつて、本件については最初の調査書に基いて決定すべきものである。のみならず、原告の出身学校である浪速大学は昭和二十八年二月一日以降は学生に対して授業を全くしていないから成績表作成後その成績表記載の点数に何等の増減のあるべき筋合がない。もしその成績表の点数に変更があるというならばそこに浪速大学において不正手段が介入しているものと云わざるを得ない。

(2)  本件の入学許可取消という処分行為は既に入学許可決定によつて学生の身分を取得した原告のその身分を喪失せしめる処置であるが、本件の被告神戸医科大学々長にはかゝる重要な学生の身分権に関する事項についての処分権限はない。即ち被告のなした入学許可取消は権限外の行為で法令上無効のものである。

(3)  仮りに被告に右入学許可取消の権限があるとしても、これは学生の身分を喪失せしめる重要な事項であるから大学の教授会の審議を経てなされるべきものであるところ、本件においてはその審議を経ていない。

よつていずれにしても本件の入学許可取消処分は取消されるべきものであると述べた。

(立証省略)

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、

原告の主張事実中、原告が神戸医科大学の昭和二十八年度入学試験に受験して合格し、同年三月二十八日同大学第一学年に入学を許可せられて同大学々生として通学していたこと並に被告が同年五月二十日付書面をもつて原告に対し医科入学資格を有しないという理由で入学許可取消処分の通知をしたことはいずれもこれを認めるがその余の事実はこれを争う。

本件は原告が神戸医科大学に受験の際、原告の出身学校長(浪速大学農学部長)から提出された調査書の記載に原告が右大学の入学受験資格があるものの如く誤記があつたものであり、これを受理して受験せしめた被告には何等の過失もない。被告は原告が入学を許可せられてから後の同年四月五日右出身学校長より被告に対し正確な成績確定通知書を送付してきたので始めて原告が文部省所定の被告大学入学資格がなかつたことを知つたので、当然の措置として右入学許可を取消したものであつてやむを得ないことである。

即ち、前記原告の出身学校長から提出された昭和二十八年二月二十三日付の調査書によると、原告は昭和二十六年四月二十日入学、昭和二十八年三月三十一日第二学年修了見込となつているが、学科成績の欄には、人文科学関係十二単位、社会科学関係十二単位、自然科学関係三十六単位、外国語十六単位、体育四単位合計八十単位を履修し且つそれぞれの学科に評点が記入されていた。そして神戸医科大学の入学試験合格者発表日までに前記出身学校長から何等の通知もなかつたから被告は文部省通牒の「昭和二十八年度医学及び歯学の大学の入学者選抜」基準に従つて、原告が完全に所定学科並に単位を修得せるものとして入学資格あるものと認めた。よつて神戸医科大学は右出身学校長の調査書と被告大学施行の入学試験成績との二者を綜合し昭和二十八年三月二十八日付をもつて原告に対して入学を許可した。然るに同年三月三十一日付の原告の出身学校長の調査書及び成績確定通知書が同年四月五日被告に送達された。右調査書によると、原告の第二年次の履修学科の内二学科が抹消され、学科中の評点が訂正され、第一年次の履修科目中のあるものは抹消され、総履修単位数は六十七単位であるが、結局人文科学関係は四単位で八単位が不足、社会科学関係は八単位で四単位が不足、体育は三単位で一単位が不足、合計十三単位が不足しているので文部省通牒の日本全国の医科大学入学資格が存在しないことが判然した。そこで神戸医科大学は同年四月六日付照会状をもつて原告の出身学校長に対し第一回と第二回の調査書が相違する理由の釈明を求めたところ、同年四月八日付をもつて右出身学校から回答書の送達を受けた。これによると右出身学校が原告に将来受験すべき学科目について見込点を与えていたが、原告が右出身学校所定の確定試験を受けなかつたため不合格となつたので第一回調査書の成績を取消しこれを被告大学に通知してきたものである。そして同年五月十九日、被告は原告のために自らその出身学校へ出張し右出身学校の責任者等に面接して詳細に調査したところ、原告が医科大学入学資格なきことが確認されたので、同年五月二十日開催の被告大学の定例教授会に附議した結果、満場一致で原告の入学許可取消に決定したから被告は直ちにこの旨を原告並にその出身学校長に通知した次第であるから被告に対する原告の本訴請求は失当たるを免れないと述べた。

(立証省略)

理由

原告が神戸医科大学の昭和二十八年度入学試験に受験して合格し、同年三月二十八日同大学第一学年に入学を許可せられて同大学々生として通学していたところ、同年五月二十日付書面をもつて被告から医科入学資格を有しないという理由で右入学許可を取消す旨の通知を受けたことは当事者間に争のないところである。

そこで以下右入学許可取消処分の理由となつている原告の医科入学資格の点について考えてみることにする。

成立に争のない乙第一号証並に文部省大学々術局長からの回答書によると、昭和二十八年度の医学の大学の入学者選抜については、昭和二十七年六月二十六日文部省大学々術局長から国公私立大学長宛に昭和二十八年度の医学及び歯学の大学の入学者選抜についての実施要項が通知され、各医科大学はこれによつて入学者の選抜を行つたこと、右入学者選抜実施要項によると、その入学資格は(同実施要項第三項参照)、

(1)  修業年限四年の大学において二年以上の課程を修了し次に定める科目を含めて六十四単位以上を履修した者

人文科学 十二単位

社会科学 十二単位

自然科学 十六単位

数学   四単位

物理学  四単位(内一単位は実習とする)

化学   四単位(  〃       )

生物学  四単位(  〃       )

外国語  英語、フランス語及びドイツ語の中二ケ国語について十六単位、但し昭和二十八年三月以前に修業年限四年の大学において二年以上修了したものは外国語については二ケ国語一二単位以上とする。

体育  (講義及び実技)四単位

(2)(3)(4)(5)(6)〈省略〉

となつていることをそれぞれ認めることができる。

ところで、原告が神戸医科大学を受験するに際し原告の出身学校である浪速大学農学部長から神戸医科大学宛に昭和二十八年二月二十三日付調査書(乙第二号証)が提出されたこと、右調査書によると原告の学科成績は、別紙第一表記載のとおり人文科学関係で十二単位、社会科学関係で十二単位、自然科学関係で三十六単位、外国語関係で十六単位、体育関係で四単位合計八十単位を履修したことになつていること、しかるに原告が入学を許可されてから後前記出身校から神戸医科大学宛に再び昭和二十八年三月三十日付調査書並に成績確定通知書(乙第三、四号証)が提出されたことそして右調査書によると原告の学科成績は別紙第二表記載のとおり同年二月二十三日付のそれに比し文学(四単位)、芸術学(四単位)、政治学(二単位)、歴史学第二(二単位)、体育実技(一単位)がそれぞれ抹消せられ、心理学、数学、物理学、独乙語、体育講義がそれぞれ評点を訂正せられ(この点について浪速大学教務課の事務が粗漏であつたことは否定できない)、結局人文科学関係は四単位、社会科学関係は八単位、体育関係は三単位を履修したに過ぎないことになつていることはいずれも原告において明らかに争わぬところ、右確定成績を前記入学者選抜要項に照して考えてみると、所要の単位数に対し人文科学関係において八単位、社会科学関係において四単位、体育関係において一単位がそれぞれ不足することになる。

ところで、原告は右抹消にかかる各科目をすべて履修した旨主張するので、以下右抹消にかかる各科目を中心にして原告の学科履修状況について考察を進めることとする。

成立に争ない乙第二号証、証人松島周蔵の証言によると浪速大学農学部から被告に提出された原告の学習についての昭和二十八年二月二十三日付調査書には他の大学の取扱と異つて文部省で定める規程の趣旨に反して「履修中」とか「修了見込」とかの表示がなされておらないため確定的な成績表のように見受けられ被告も之を確定したものとして取扱つておつたことが認められるけれども成立に争のない乙第六号証並に証人木村力、江川英一(第一、二回)、近藤常夫、森杉夫の各証言によると、浪速大学農学部においては、医科大学を受験する者に対してはその入学願書の締切期日までに成績の確定しない科目があるので特例を設け、受験希望者からの申出によりこれに仮に単位(見込点)を与えるという便法(従つて正式にいえば後に正規の手続による成績の確定が必要であとで右見込点は変更される可能性があることになる)を講じていたもので本件の場合においても前記昭和二十八年二月二十三日付調査書はこれに基いて作成されたものであることを認めることができるが、同大学が右の仮成績(見込点)をもつて最終確定のものとしていたとの点についてはこれを認めるに足る確たる証拠がなく、右便法に従つて事実上は見込点が確定のものとして取扱われその変更が問題となつたことは稀有であつたことが証人白倉伸助の証言、原告本人訊問の結果によつて窺えるけれども右事実があるからといつて法規上仮成績を確定のものとして取扱うべきものとはいえない。正規な手続としては文部省大学々術局長の回答書にもあるように、昭和二十八年度における調査書の記載方法は「修了見込のもので最終学年の成績が未定である場合は、最近における成績を綜合して最終学年次の成績とすること、但しこの場合には最終学年次の成績が決定し次第、その成績を通知すること」とすべきであることが認められるから、本件においても原告の入学資格については右見込点を基準としないで原告の最終学年次の確定成績についてこれを客観的に判断して決すべきものと解するのが相当である。この点についての原告訴訟代理人の第一回の調査書によるべきだとの主張は採用する訳には行かない。

よつて以下右の考えのもとに前記抹消にかゝる各科目について個々的に検討することにする。

(1)  人文科学関係

(イ)  文学(四単位)

証人江川英一の証言(第一、二回)によると、文学の担当教授は右江川英一教授であつて、同教授はその試験方法としてリポートを二回提出させた上昭和二十八年二月末頃確定試験を行つたところ、原告は二回共リポートを提出せず且つ右試験を受けなかつたので単位を与えなかつた旨を証言するのに対し、原告は、文学については試験はなく、リポートを二回提出した旨供述するので考えてみるに、検証(第一、二回)の結果によると文学の仮成績表(乙第二号証の調査書の基礎になつたもの)はあるが確定成績表(乙第三号証の調査書の基礎になつたもの)のないことが明らかであるから、右証人の証言はにわかに信を措きがたく、結局原告はその試験方法に従つてリポートを二回提出したものとみるのが相当である。そうだとすると、他に特段の事情のない限り、原告は右学科に合格したものと解するのが相当である。

(ロ)  芸術学(四単位)

証人江川英一の証言(第一、二回)によると、芸術学の担当教授は右江川英一教授であつて、同教授はその試験方法として科目試験を行わずリポートを二回提出させて試験に代えたところ、原告はそのうち一回だけしかリポートを提出しなかつたから単位を与えなかつた旨を証言するのに対し、原告並に証人長尾文三郎はいずれも原告が二回ともリポートを提出した旨を供述するので考えてみるに、検証(第一、二回)の結果によると、芸術学については仮成績表並に確定成績表が存在し、右確定成績表中原告の欄に成績点数の記載がなく/印をしていることが認められるから、芸術学について原告が仮りにその主張のとおりリポートを二回提出したとしても、合格点数をかち得るに至らなかつたものと考えるのが相当であり、結局原告は本科目の履修を未だおわつていないものというべきである。

(2)  社会科学関係

(イ)  政治学(二単位)

証人近藤常夫の証言によると、政治学の担当教授は右近藤常夫助教授であつて、同助教授はその試験方法としてリポートの方法をとらず昭和二十八年二月中旬頃試験を行つたところ、原告は右試験を受けなかつたので右科目の単位を与えなかつた旨を証言するのに対し、原告は右試験を受けて答案を提出した旨供述するので考えてみるに、検証の結果(第一、二回)によると政治学については仮成績表はあるが確定成績表のないことが認められ、その他右確定試験が行われたことを認めるに足る証拠がないから、政治学については原告は仮成績表に記載のとおりこれに合格し、その単位を得たものとみるのが相当である。

(ロ)  歴史学第二(二単位)

証人森杉夫の証言によると、歴史学第二の担当教授は右森杉夫講師であつて、同講師はその試験方法として昭和二十八年二月中旬頃試験を行つたが原告が右試験を受けなかつたのでその単位を与えなかつた旨を証言するのに対し、原告は右試験を受けた旨供述するので考えてみるに、検証の結果(第一、二回)によると右科目については仮成績表はないが確定成績表が存在し、右確定成績表中原告の欄に成績点数の記載のないことが認められるから、歴史学第二については原告が仮りにその主張のとおり試験を受けたとしても合格点数をかち得るに至らなかつたものと考えるのが相当であり、結局原告は本科目の履修を未だおわつていないものと云うべきである。

(3)  体育関係

体育実技(一単位)

証人白倉伸助の証言によると、体育実技の担当教授は右白倉伸助助教授であつて、本科目(水泳)については原告は保留となつていたがその後原告からの申出により教授会において審議の上他の学校との均衡上右保留を解いて原告に対しその単位を与えたものであることが認められるから、本科目については原告はすでにその履修をおわつたものと認めるのが相当である。

以上のとおりで、結局原告は芸術学(四単位)並に歴史学第二(二単位)については未だその履修を終つていないものと云うべきである。そうだとすると原告は右二科目の履修単位を欠くことにより所定の単位数に満たず、さきに認定した、入学者選抜実施要項による入学資格を欠くものと云わなければならない。

なお、原告は被告のなした本件入学許可取消処分はその権限外の行為であると主張するが、学校教育法施行規則第六十七条には、「学生の入学、退学、卒業、休学、転学は教授会の議を経て学長これを定める」旨の規定があり、本件の入学許可取消処分も同条の「退学」に準じて考えるのが相当であるから、被告にその権限がないという原告の主張はとうてい採用することができない。そして被告が本件の入学許可取消処分を行うにあたり、昭和二十八年五月二十日に教授会の審議を経たことは証人松島周蔵の証言によつてこれを認めることができるから、原告訴訟代理人の右主張は正当ではない。結局浪速大学農学部の調査書提出方法、成績の確定方法等について責任を負うべき点があることは否定できないけれども原告が正規に学習科目を履修してその合格点を得たことが認められない以上被告のなした本件入学許可の取消処分は止むを得ない処置であり違法の点はないといわなければならない。

よつて原告の本訴請求は失当としてこれを棄却し行政事件訴訟特例法第一条、民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一 中村友一 土橋忠一)

(別紙省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例